寄り添う   副教会長

 日々のご祈念の時に奉唱させていただいている「災害復興・新型コロナウィルス終息祈願詞」の中にこんなくだりがあります。「私たちはこの祈りを通して、被災地域や罹患された人々の気持ちに寄り添い…」。このくだりを最初に読ませていただいたとき、気持ちに寄り添うということは難しいことだし、そもそもどういうことなのだろうかと疑問に思いました。その人の気持ちになるとも違うし…などと色々考えたりもしました。

 そんな中で、自分自身が人から寄り添ってもらっているなあと実感できた出来事がありました。一年ぶりに持病の関係である検査を受けた時のことです。今まで何度も同じ検査を受けているのですが、いつも結果が出るまでの間は本当にドキドキして、不安と緊張でいっぱいになるのです。今回の私もそんな感じで、心の中で「金光様」と唱えながら名前を呼ばれるのを待っていました。第一声で主治医の先生が「悪くなってないよ。良くもなっていないけど」とおっしゃいました。すると隣にいた看護師さんが「よかったねぇ」と言ってくださったのです。その一言で私はホッとして全身の力が抜けた感じがしました。先生は苦笑いをして「よかったねぇじゃないんだけど」と言って今後の治療方針を語って下さいました。
 看護師さんは不安と緊張でいっぱいいっぱいの私に寄り添ってくれて「(悪くなっていなくて)よかったねぇ」と言ってくださったし、先生は病気の私に寄り添ってくれてよくなるということを前提に話されました。二人は真逆な感じで私に接してくれましたが、どちらからも向き合ってくださっていることが伝わってきて、とても気持ちよく帰らせていただきました。

 「相手の気持ちになる」ということの正解は、ひとつかもしれません。でも「相手に寄り添う」という場合の正解は一つではなく、その人それぞれなのではないかと思いました。大切なのはいかに願うか、いかに祈るか、いかに信じるか、そんなところにあるのかもしれません。今後も寄り添うということについて考えていきたいと思いました。



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